草った人生

腐った人生。草った人生。考え事の保存に。

レクリエーション化した民族舞踊(1)

昨日、サークルの先輩とご飯に行った時に面白い?話を聞いた。最近作られた踊りを練習するのがつまらなくなっているそうだ。

日本の民族舞踊界は、アメリカの民族舞踊界の系譜を受け継いでいる。そのため、アメリカから講習者を呼んで踊りを教わり、そのうちのいくつかを毎年残していく、という流れが定着している。アメリカの講習者というのは、もともと現地からアメリカに移住した人だったり、現地に習いに行ったアメリカ人である。

 

彼らは本来動きの順番が決まっていないものを、講習するときの都合で順番を決めて教えたり、一つの動きしかない踊りでは客が飽きてしまい受けが悪いので、複数の村の特徴を混ぜてしまったりする。場合によってはネタ切れで稼げなくなってしまうのを避けるため、同じ踊りの動きの構成を変えたり、複数の村の特徴を混ぜたりして別の踊りとして講習することがあるという。

曲の長さも飽きないで楽しめる程度ということで、1~4分程度の曲がほとんどである。音源もyoutubeから違法ダウンロードしたものを販売していたり、違う地域の同じ類型の踊りの歌を録音してきてたりする(違法ダウンロードと書いたが、民族音楽は作者が不明なことが多いのでそもそも著作権の定義が難しい。なので、厳密には違法とは言えない。別の問題になるのでここではこれ以上触れない)。この傾向はアメリカ民族舞踊界で強く見られるものの、日本でも同じ状況で、講習者は自分の作った踊りを使い回せるので、余計にそう行った傾向が強まるということである。

さらに、これは意識的ではないだろうが、スタイリングが大きく変わってしまうことがある。重心の高さ、ステップの踏み方などが、アメリカのRoundDance的になってしまうのである。

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アメリカ人地理学者のR.Wixman氏によるBulgaria、Dobrujaの踊りTropanka

 

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Bulgaria現地の舞踊団のダンサーによるRaka(Tropankaと同系統の踊り)

 

そうなってくると、もはや現地の民族舞踊とは大きく異なった踊りになってくる。

 

このことは、僕自身感じていたことである。動きが決まっているものは、つまらないと思うし、意味がない、もっと言えば興味を持てないのである。現地の人たちが踊っているわけでもない、アメリカと日本で趣味でやっている人の間でだけ通じる踊りを民族的と行ってもよいものかどうか。

 

講習者はそれで生活をしているので、責められない部分もある。問題があるというわけではないが、改善できるとすれば受け手側の意識の問題なのかなと思う。レクリエーションとして踊るのが好きであって特にそれ以上は求めない、という人が多いと、講習者側も正確に現地のものを伝えるより客に受けが良いものを、ということになる。舞踊そのものに興味があって、その中の一ジャンルとしてフォークダンスを踊っているのであれば、そういうことが気にならないのかもしれないが、もう少し現地志向の人が増えると僕は嬉しいな、と思う限りである。やはり、新曲をやります!と宣伝すると一定数の人が集まるらしい。商業である以上、そのあたりはおろそかにできないポイントなんだろう。

 

一方で、現地志向という考え方が出てきたのは特にYoutubeの恩恵が大きいのかなと思う。現地の踊りを見ることがなければ上のような問題点を理解することもできなかった。もっともkvkは昔から年に何人かは現地に行って習ってくる人がいたようであるが…そう行った文化的土壌も関係しているのかもしれない。